2012年6月26日火曜日 | ラベル:

『平成大修理見学会』の様子(4)






今回も5月26日,27日に行われた『平成大修理見学会』の様子について報告いたします。


宝福寺の庫裏を覆う屋根はどのように組まれているかを、建物の中から見上げながら、大工の方に模型を用意してもらって説明していただきました。

1枚目の写真が建物の中から見た屋根の内側です。
2枚目の写真では、その屋根自体の構造について説明をうけました。
屋根を支える梁の上に、さらに細かい木材を敷き詰め、その上から板を打ち付けているそうです。

3枚目の写真は、屋根を支えている柱の、一部分だけを切り取る際の工法について説明を受けている様子です。
柱の一本いっぽんが屋根を支えているので、工事ではまずジャッキをつかって柱が支えているの部分の屋根を持ち上げます。その柱の弱っている部分を取り替える際に、新しく継ぎ合わせる木と木が組み合うようにノミで削り、形を作ります。
模型で見せていただきましたが、別々の木が前後左右にずれないように隙間無く組み合わさっていました。切れ目ひとつ見当たらないので、本当に一本の柱のようでした。

大工の方は一年もやるとできるようになるとおっしゃっていましたが、同じ木の仏像の彫像を体験した後の私にはとても無理だと感じられました。


--光森雅明 / 岡山県立大学大学院 デザイン学研究科1年

2012年6月19日火曜日 | ラベル:

『平成大修理見学会』の様子(3)




今回も5月26日、27日に行われた『平成大修理見学会』の様子について報告いたします。

宝福寺を改修していく中で、これ以前に行われた工事の跡が発見されました。

写真上では、壁をつたう梁の、ライトに照らされている部分だけが白く残っています。
ここは台所もある庫裏という建物で、本来であれば他の部分と同じように煤で木が黒くなっているはずです。
調べてみるとここは、写真の左に立っている柱が、かつて支えていた部分であるということがわかりました。
江戸後期に行われた宝福寺の工事で、奥の部屋を広く使うために柱の位置を変更したことにより、このようになったとのことです。

写真下の中央には、天井についている柱が切られたような跡があります。
ここも、部屋を区切っていた柱を切り、他の部分に使うことで部屋を改造した跡だそうです。

こうして改めて確認するなかで、建物自体が形を変えながら歴史を持っているということがよくわかりました。

--光森雅明 / 岡山県立大学大学院 デザイン学研究科1年

2012年6月12日火曜日 | ラベル:

6月の座禅会の様子



6月10日(日)に定例の座禅会が行われました。

梅雨入りが発表されましたが雨も降ることなく、とても心地よい環境で座禅を組むことができました。
今回は約20名の方が参加され、初参加の方も数名おられました。

座禅後の法話は江戸中期の禅僧である「白隠禅師」についてのお話でした。
白隠禅師は出家の剃髪の時、先輩の僧侶から「何のために頭を剃ったのか」「頭を剃って何をすべきか」「何をなせば、頭を剃った意味と成るのか」を考えて1日に3回頭を撫でるように言われ、これを「三顧摩」というそうです。
少し気を抜いて過ごしてしまっている私には身に染みるお話でした。
今までよりも気を引き締めて学業に励んでいこうと思います。

次回の座禅会は7月8日(日)に行われます。
皆様も参加されてみてはいかがでしょうか。

--鳥居秀作 / 岡山県立大学大学院 デザイン学研究科1年

2012年6月5日火曜日 | ラベル:

『平成大修理見学会』の様子(2)





今回は5月26日,27日に行われた『平成大修理見学会』の様子について報告いたします。

改修工事が行われているのはお寺の中でも庫裏と呼ばれる所で、台所や客間など日常の生活を行う建物となっています。
宝福寺の庫裏は有形文化財として国に登録されており、建物を使いながら残していくことになっています。
文化財は歴史的に観て資料価値が高いとされるものです。
文化財の修理において意義がある点は、それらのつくられた年代を調べたり、そこから今までに何があったかを知る手がかりとなるということです。

写真上は、実際に使われている柱を並べたものです。
通常の文化財の修理では、歴史的資料として使える部分はできるだけ残すということがされています。
柱においても腐ったり傷んだりした部分だけ切り捨て、使える部分に新しい柱や他の箇所の柱を継ぐ手法がとられています。
しかし一番手前の柱は、水や白蟻により大きく腐食してしまっていました。
ここまでくると資材として残すことはせず、資料として別に保存するそうです。

写真下では床下の梁に「安政二年」などと書かれた150年以上前の改修工事したときの記録が、当時の大工の名前とともに残っていました。
こういったものを見ると、改めてこの建物が過去の多くの人と関わってきたものであることを感じました。


--光森雅明 / 岡山県立大学大学院 デザイン学研究科1年