宝福寺にて11月11日(日)に、毎月の定例座禅会が行われました。
当日は私が座禅に赴くようになって初めての、雨模様となりました。
座禅をしている間も雨音が禅堂に響いていましたが、それがかえって喉の動く音や息遣いなどの周囲の細かな音をかき消して、より集中しやすい環境をつくっていたかと思います。
法話では住職さんから、なぜ座禅をすることが仏教の修行なのかというお話を聞きました。
住職さんは釈迦が悟りを開いた頃から時代を追ってお話しされました。
お話によると中国で仏教が弾圧されていた時代、僧たちが山へ隠れ集団生活の中で文字や言葉に頼らないで真実を伝えていこうとした結果、いまの形を作ったということでした。
身近なことを伝えることで、言葉以上のものが伝わることができるといいます。
禅において「啐啄同時」という言葉があります。教わりたい方の気持ちと、教えたいという方の気持ちが重なることで、言葉以上の真実にたどり着けるということです。
これは私の研究しているインタフェース、インタラクションの分野においても非常に重要で興味使い点であると感じました。
優しい言葉遣いでわかりやすい内容であると同時に、禅や生活の考え方としてとても重要なことであったと思います。
--光森雅明 / 岡山県立大学大学院 デザイン学研究科1年